napachiのブログ

基本、私見です。当面趣味の感想です。

オタクは一枚岩にはなれない、かも

断言してしまっていますが、可能性を否定するものではありません。

 

私が知らないだけで、協力できるのかもしれない。

 

これは考察ではないので資料はなく、私の後悔を軸とした意見です。

 

後悔といっても何かしらの大失敗をした後悔ではありません。はい。

 

 

 

ここでのオタクとは

 

昨今、「オタク」という言葉が多用されている。

 

ここでは、本来の意味合いや私のイメージのポップカルチャーが好きな人としておく。

 

漫画・アニメ・ゲーム・おもちゃ・映画・(電子)機械いじりが好きな人。

または、子供のようにそれらを楽しむ大人。

 

 

私はオタクではないが・・・

上の定義では不足分が多く、それを論説とすればオタク論は沢山あったりするので、ここでは割愛する。

 

割愛するが、1つ借りるなら、オタクは知識量ではなく愛を語れという意見を見たことがある。

 

個人的にこの数年内に見かけたものだが、似た意見をお持ちの御仁や表現場所は多岐にわたるだろう。

 

その意見は、オタクさえも時代とともに変質する中で、昨今のそれが知識勝負になっていることに苦言でもあり悲哀をこめていた。

 

知識量ではなく、どのくらいその作品が好きなのかを語ってほしいがその感情が感じられないと。

 

 

私は「オタク」に嫌悪感はないが何かを考えることもなかった。

 

その意見を見て最初は引っかかるものがあったがなるほどなと思い、少し反芻して納得できたと思う。

 

引っかかったのはニワトリとタマゴだが、このように思うことにした。

  1. ある作品を好きになる。
  2. 好きになると知りたくなる。
  3. 知ってなお、好きになる
  4. 以下、2・3の繰り返し

 

 

私はアニメが好きである。

 

好きではあるがその意見が正しいとした時、私はオタクではない。

そうでなくとも、オタクではない。

 

好きな作品こそあるがそこまでのものはなく、私は「アニメを見る」ことが好きなだけ。

 

例えるなら、非常時にテレ東を見ているだけで映画好きと言われるみたいなものだ。

 

それだけで映画についていろいろ要求される。好きで見ている人以外にはいい迷惑ではないか?

 

私はもうテレ東も見れなくなったから、昨今のテレ東がわからないが。

 

 

かかわることが難しい

オタクではない私がオタクを語るのもおかしな話だ。

 

しかし、ことポップカルチャーに関してはある1つの作品が好きというだけでオタク認定されるのが昨今だ。

 

しかも、その要求が大きい気がするのは私だけだろうか?

 

 

さて、そういう意味ではせいぜいアニメ好きになるであろう私。

 

大仰でミスリード的でオタクと巻き込んだタイトルにしてしまって申し訳ない。

 

だが、そんな一アニメ好きごときでも似たような人とは全然かかわれないのである。

 

 

話の引き出しがないと言ってしまえばそれまでだ。

 

それまでなんだが、まず何よりもお互いのジャンルが一致しないのだ。

 

「何が好き」と言うのは常套句ではあろうが、その中でアニメやゲーム等とでれば、うれしくもなるがすぐに壁にぶち当たる。

 

漠然としているそれは、ジャンルが違うとすぐに気まずくなる。

 

何とか聞きかじりを披露したところで互いに語りたいものも語れないし聞こえない。

 

だって、わからないし、興味がないから。

 

盛り上がらずに盛り下がり、居心地が悪くてすぐ、仕事などのネガティブな話題でつないでしまう。

 

 

余談だが、好きを語るより、誰かに殴られたとかの方が共通しやすいからネガティブな会話が成り立ちやすいのかもしれない。

 

しかも、不幸自慢もできるからなお質が悪い。

 

 

一枚岩の可能性

あくまで私一個人の問題を広げすぎかもしれないが、はてどうなるか。

 

好きでこそ見ているのだから、興味がないものや嫌いなものを見たりやったらそれは、拷問であり労働である。好きや趣味ではない。

 

だから、あきらめるしかないと思う。無理をしたところで無意味だ。

 

 

しかし、他の属性に比べれば、まだ、オタクは一枚岩になれる可能性があると思う。

 

アニメ好きがオタクまでに広げてあれだが。

 

例えば表現規制への反発とか。

 

 

いかなる属性でも実行に移すのはいつも少数だ。

 

少数といってもその割合はオタクの方が多いように思える。

 

守備ジャンルが違えど源流が同じため、それこそ(趣味の)存亡がかかっているから。

 

 

そもそも一枚岩とは大事に挑む言葉だから、日常生活は捨てても大事にさえまとまれられればいい。

 

まぁ、実際はわからないけれども。

 

 

あとがき

そもそも私にとってオタクとは崇高な存在と定義している。

 

それこそSF映画に出てくるようなオタクが理想像だったりする。

 

いい面しか見ちゃいないが、ほとんどの各種ジャンルに精通しそれぞれへの愛もある人。

 

 

そういう意味でも私はその域にない。

 

断言はできないが一般的なオタクに近しい人とかかわったことはある。

 

当時の学友だが、守備範囲もそこそこ広くこちらの話にも合わせてくれていた。

 

今思い返すと申し訳なかった。

 

 

表現規制なんて持ち出したがそれぐらいしか思い浮かばなかった。

 

そして、これといってオタクの動きは知らない。