napachiのブログ

基本、私見です。当面趣味の感想です。

虐待の是非8…多産育児・多頭飼いは虐待のはじまり

虐待は悪いものであるというのが、建前でしょうか?

私も異論はありません。

 

一般的に、多産(育児)や多頭飼いを良いものとする風潮があります。

あえて言えば、カワイイ生けるおもちゃを侍らせること・所有することが良い事であり、憧れの象徴といます。

 

 

はじめに

これは私の主観と偏見を由来とする私見で語っています。

 

タイトルに対して難がありますが、私は虐待を支持してはいません。

しかし、昨今の虐待絶対悪視はただの臭いものに蓋なように感じているのでこんなことを考えています。

 

個人的な「虐待」の定義は一般論よりも広義的です。この認識の下で虐待についての私見を書いています。

タイトル的に児童虐待と動物虐待のみついて語るような体になりますが、この二つが語る上で楽なだけ、意味合いとしては他人(多生物)と関わること自体が虐待であると解釈していただければなと思います。

 

ここでの多産とは

多産とは読んで字のごとく、2人以上の人間(子)を産むことです。

また、基本的な歴史として、産んだ人間・産ませた人間(親)がその育児も兼ねています。

こんなことを文明を得て、少なく見ても直近1000年は続けているのですよ?おかしくないすか?

 

そのため、ここでは多産は育児も含んだ意味合いになります。

 

ここでの多頭飼いとは

多頭飼いまたは多頭飼育とは、文字通り動物を2匹以上飼うことを意味します。

また、、基本的に畜産業は除きます。そして、動物を指しますが完全な愛玩目的ならば昆虫や魚等も含んでもいいでしょう。

 

平等に扱う器量はない

物事を同時進行することを難しいとする人が多いように、多産・多頭飼いをする人間もまたそれを難しいこととします。

たしかに、平等に接し愛せる人(親・飼い主)はいるでしょうし否定はしません。しかし、そういう存在がいるからと言ってそれができない人を無視していいのでしょうか?

 

選別して差別する

必ず虐待をするわけではありませんが、ここではそうではない人達を虐待者とします。

また、一般的に好まれませんが、親子だからと言ってそれぞれはれっきとした個人。すなわち他人です。

 

建前であれ、自覚の上でもその全ての子や動物を等しくかわいがっていると基本的に彼ら彼女たちは言うでしょう。

一時期兄弟研究が面白がられました。そこにあった次男次女の抱える意識はあくまで子本人の問題なのでここでは無視します。

※よかったら調べてみてね。

親であれ飼い主であれ一人の人間…好き嫌いがあります。

  • 子が2人以上いれば必ず比較します。
  • カワイくて買った動物に個体差や性格があることを知り比較します。

…そして、差別します。

差別をしても実現しなければいいのですが、大概の人間はそんな器用じゃないので差別は虐待につながり、虐待者にとっては虐待の肯定につながります。

 

人間は育つ。動物は閉塞。

  • 虐待者本人の自覚無自覚に関わらず、良くも悪くも”子”は育ちます。

虐待者にとっておいしい幼い時期はおもちゃとして大変楽しめます。しかし、それを過ぎれば親にとっても不要の存在であり、結果的にも子が勝手に育つ時期になります。

その後成人して自分の元を離れようと離れまいともう興味の外であることが多い。子どもも親なんて1人か男女の2人しか知らないから虐待だったなんて思い出になることもない。

人間の場合は親子互いの無自覚さや、片方が特に子が気づいたところで子は親から離れるか諦めて嬲られ続けるかで表沙汰になることは少ない。

 

  • 動物は少なくともその飼い主の家から出ることはありません。

昨今より室内外が如実になっています。さらに昨今の愛玩生物事情(ペット)はよりおもちゃ性を帯びています。大きさのみならずその扱い方も。

良くも悪くも密室の中でいろいろなことが完了する環境が整っています。

さらに、動物施設に手放されるならまだいい方で、最期まで育てるべきと言うべき論(強迫的な理想論)が後ろ盾になって虐待が視野い状況とも言えます。

 

…そのため、どちらの場合も虐待や虐待性はうやむやになりやすい。

 

 差別は虐待を誘発しやすい

好きな子とそうでない子。動物...例えば、好きな犬とそうでない犬。

そうでない方止まりならまだ良い方で、嫌いな子・嫌いな犬ともなればこの差別は虐待を肯定しうるに十分な理由となり得ます。

  • 「私の言うことさえ聞いていればいいのに、効かないお前が悪い」
  • 「私の思い通りの行動をしないこの犬が悪い」

多産ゆえに重複する育児のストレスや多頭飼いのストレスも後押しして憂さ晴らしにもなる。

 

私は虐待には効能があると考えています。

娯楽である。支配欲が満たせて、憂さ晴らしもできて、何かをしているという欲求も満たせる。怒るという感情も発露していい等。

…これらを一つのことで満たせる事・娯楽があり得るのでしょうか?

 

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被害対象の量産は簡単ときた

基本セックスさえすれば、約1年弱待てば、「我が子」と言う最良の生けるおもちゃが手に入ります。男も女も。

良くも悪くも小型化され常に生産される愛玩生物産業。

つくづく生けるおもちゃの獲得方法は簡単になっています。果たしてこれいかなに?

 

おわりに

これは私見ではありますが、あくまで一つの考えです。

自分にとって正しいとは考えていますが、これを絶対とまでは考えていません。