napachiのブログ

基本、私見です。当面趣味の感想です。

虐待の是非9…そもそも他人・他生物と関わること自体が虐待である

昨今の何でもハラスメントに近しいタイトル付けで辟易するかもしれない。

 

または、中学生臭いこと言いやがってと思うかもしれない。

 

あまりにもポピュラーすぎてこれも疑問に思われたりすることがない事象の一つのように思います。

他生物含めて、他人と関わること自体、その欲求自体が虐待ではないかと言う私見をここに書き残す。

 

 

ここでの虐待とは?

私の偏見と主観による定義で基本語りますが、それなりに一般的な意味合いのつもりです。

 

ただし、国や学問が定義したものを正しいとしたとき、その正しさには従いません。

あくまで、一般的な各自や集団がなんとなく抱いたり知ったかぶっている意味合いを持って一般的とします。

 

基本的に被害は生物を対象とする

虐待とは人間であれ、他生物であれ、基本的に生き物に行われるものだと思います。

 

そのため、ここでの虐待で想定される被害対象は生きた人間をはじめとした生物であることも前提にします。

 

※物や死体等はここでは除外します。

 

なぜ、関わることが虐待だと思うのか?

これについては、違うことに関する私見の延長ではあります。

 

「関わること」または「関係を持つ/すること」と言うと抽象的過ぎて範囲が広くなってしまいます。

明確な虐待ではなく、弱い虐待・薄い虐待と言えるでしょうか。

 

  • 他人と関わりたい
  • 一緒にいたい
  • 生物を飼いたい
  • 手なずけて、私を求めてほしい

・・・等々。

 

それらがただの欲望として秘めているのであれば、問題はありません。

しかし、実行してしまえば虐待と言ってもいいでしょう。

 

いわゆる「迷惑」

これは一言で言えば、「迷惑」と呼ばれるものです。

もちろん、揶揄や難癖ではない文字通りの「迷惑」であり、迷惑とは虐待の一種ではないかと思うのです。

 

先の例で言えば、次のようになるでしょうか。

「他人と関わる」等

  • これの何より大きな性質は、相手の時間を奪うということ。関わっている最中ですね。
  • さらに、精神とはすり減るものです。嫌悪感がある相手はわかりやすいと思いますが、意外に好意がある相手でも意識しづらいだけで減るのです。
  • 昨今ではこれらを発達障害やとても気にする人等として無視しようという風潮にありますが、それほどまでに古来から無意識にされてきた行いとも言えます。

 

「生物を飼いたい」等

  • 他人との関わりに同じく、その生物種の生物性を剥奪することになります。
    環境が最たる例。
  • 適切な関わりができない。
    異質性から人間には見えないけれど、それ相当の感情移入をするし、成体であることを許しません。基本幼生扱いをしますし、それを求めます。
    そのくせ、都合の良いところだけ成体性を求めます。
    人間でも特に親子関係等でこれが現れるケースもあります。
  • 1つ目に重複しますが、一種族としての生や死が許されない。

 

基本的に迷惑と言う言葉は、人間に対して使う言葉なので、動物には不適切かもしれない。

それならそれで、迷惑とは相手の時間や精神を強制的に奪うことですから、虐待に該当するのではないでしょうか。

 

もちろん同意があれば別です

あくまで相手が時間を割く事、相手のために場所等を用意することは別です。

 

相手が許可してくれたこと、私が一緒にいたいと感じる等の強制や反強制と言った不快感のない好意や自発性があることが大前提です。

 

その最中のいざこざで変質することもありますが、それは別の問題。混同することの方が多いですがね。

 

しかし、そうなると・・・やはり他生物に対しては虐待としか言えないように思う。

 

ちなみに、何でもハラスメント化について思う

2020現在からみての数年間、そのやや昔はパワーハラスメントセクシャルハラスメントぐらいしかなかったものが有名無名問わずその種類がどっと増えた印象にあります。

 

一部の人達が揶揄したり危惧しているように、何でもハラスメントにして、ハラスメントが乱用されています。

こんなのひとえに、「迷惑」や「虐待」のどちらか一言で片づけたり、言い表せられることなのに乱用・乱造され続けています。

その結果、本来の性質が無くなったり、変質劣化してしまったりする危険性があります。

 

この原因は次の2つであるように思います。

  • 学が無いけど、言葉遊びをしたい。

これはある意味、平安時代の恋の句みたいな延長です。

ただし違うのは、平安時代は男も女も気を引きあうために学を研鑽していたのに対して、(近)現代は平民や場合によっては貧民に平たく学を授けている体ですが、ほとんどの成人はそれ以上の学を研鑽することはありません。私もそうです。

学を深める気もないが、言葉遊びをしたいから、なんとかある学で平易な言葉を使って言葉遊びに興じたり、表現するしかない現状。

 

  • ビジネス

やや蛇足ですが、私はベーシックインカムを支持していますが、一部の人達を除けば私も含めて9割9分の人間は労賃以外の金銭獲得方法を持ちません。

 

そんな訳で労賃を得るために、特にテレビや情報サイトと言った情報産業は間接的に言葉を食い扶持にしている都合上、言葉を乱造するしか手が無いのです。 

それ以外にも金を得る手段はあるでしょうが、言葉の乱造・乱用・悪用・変質等をやった方が、手っ取り早く稼げます。

 

既存の言葉で優良な記事やちゃんとした情報よりも、良くも悪くもそちらの方が需要や金の動きが速いというのはあるのかもしれません。

特に、既存の言葉は悪い意味で手垢がついて、意味合いが薄れたり印象(衝撃)が薄れているというのは往々にあることですから。

 

あとがき

「他人と関わらずに生きられません」

…なんて言葉は私もいくらか聞いたことがある言葉です。

 

たしかになとは思いますが、しかし、文明の利器によってその関わりは減らせているはずなんです。

少なくとも、いちいち直接関わるという性質は減って間接的なものに移行しているとは思います。遅々としてでも。

 

他人との関わりに疲弊している人やあまり関わりたくない人って、完全自己完結である自給自足(税搾取が無いことを前提)したい訳ではなくて、せめて直接的な関りを減らしたいだけだと思うのですよ。

 

自給自足ではなく、100%間接的な関りで「も」生きられる社会にでもなれば、直接関わる人間も選べて、好意だけで関わり合うことができるようになるのではないかしらん。